石楠花

<はじめに 1962年夏 >

 妙高・火打・焼・雨飾の妙高連峰縦走(金山 (かなやま) を入れて五山ともいうが、金山には三角点がないので、四山縦走)は、私の長年の念願であった。しかし焼から雨飾への道はひどく荒れているということであったし、 妙高・火打あるいは火打・焼だけでも相当のアルバイトを要し、普通縦走というと、この二つだけが山行された。我々好岳会も二度ほど計画したが、日数の点や大人数であったため実行できなかった。

 今回親友のAさんとうまく計画を立てることができた。初め2人で行く予定であったが、前々日にTさんと会い、3人の方が良いということになり、Tさんを誘った。
 食料計画は、重量を軽くするために、缶詰はくだものだけとし、味噌汁の具もワカメとすることにした。
 行程は、第1日→黒沢の池。第2日→泊岩(または白雪キャンプ場)か金山。第3日→梶山新湯。第4日糸魚川で遊んで帰る(但し、泊岩から先は、不明であるので、 第4日中に家に帰れば良いとした)。泊岩から先は、サブザック行である案内書の5割増しで計画を立てた。

 前日に食料購入と、装備の用意をした。ところが前々から頼んであったにもかかわらず、ラジュース、鉈、エンビなどがすぐに集まらず、自分自身の装備をしたのは20時ころに なってしまった。さらに夜は、どうしたことか眠られず、朝方の4時から6時までの2時間程うつらうつらしたに過ぎなかった。

 さて次のページから、この山行の写真が現われるが、この山行のみならず、このコースの概略が分かるように、今まで撮ってあったものから補充した。しかし、焼までは行き慣れているから、 人物本位で撮影したし、また金山からは急いでいたり天候が悪かったりでほとんど撮れず、満足できるものが少ないのが残念である。
”同行者の紹介”
Aさん
〔Aさん〕
 高々時代、山岳部主要メンバ。3年生の5月に妙高で、グリセード中に滑落した2年生を止めようとして自分も一緒に10m以上の崖から落ち、全治4ヶ月の重傷を 負ったにもかかわらず、リーダの役目を完遂したことは、記憶に新しい。
Tさん
〔Tさん〕

 好岳会の元主要なる、熱心なる会員。現在先輩としても前と変わらない。